日土水むらは「ゆりかごから墓場までオーガニックなモノ・コトの提供」がテーマです。
なのですが、それは理想論です。だけど、その理想を追うコトって大事だと僕は考えています。
オーガニックをとおして、持続可能な農環境をととのえ、よりよい社会をつくっていく。
そのために、なにが問題でどう解決していけばいいのかを、みなさんと一緒に考えていきたいのです。
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持続可能な農環境
持続可能な農環境をととのえることを、みんなで考えるトキです。国も一生懸命かんがえてはいます。
ただ、それは大きな目線で、実現不可能なことにもなっています。国が悪いとかじゃなく、彼らなりに考えての策です。
ただ、それは僕らには関係がないことで、僕たちは別の作戦をたてる必要なトキだと思っています。
そのためにオーガニックな環境でオーガニックな作物をつくり、それを流通させることだと日土水むらは考えています。
いままでのように大きな仕組みではなく「スモール・イズ・ビューティフル」をテーマにモノ・コトをまわしていくんです。
自分のところで自分たちの食べ物をまかなうことだけ考えます。非情な言い方かもしれませんが、それくらい割り切って考えます。
そんな小さなコミュニティを分裂させていくわけです。自分のモノは自分でまかなう、あまった分を交換する。それで生活を成り立たせていきます。
自分の食べるものを自給できる安心感があると、生活に精神的な余裕がうまれます。必要以上に稼ぐことが不自然な生き方に感じられます。
そうなるとお金以外の豊かさに目が向くようになります。お金って豊かさのほんの一部です。
お金がないと生きていけない
そんな集団催眠にかけていられたコトに気がつくはずです。
持続可能な農をするための問題
そんなこんなでオーガニックな環境でオーガニックなモノをつくって、物々交換できるコミュニティがあれば生きていくことはできます。
なんだけど、
オーガニックって大変だし、そもそも地球全体のこと考えたら、それは実現不可能でしょ、しょせん理想論じゃん
なんて思う人もいるかもです。僕らもそれはわかっています。たしかにオーガニックは大変です。
人手はいるし、それにたいして取れる量は、慣行栽培にくらべると少ないです。
オーガニックで「いまの」生活をつづけるための食料をまかなうのは難しいといわれています。
「いまの」生活をやめるという選択
なんだけど、そもそもで、いまの生活は本当に正しいのでしょうか。
同じ時間に同じとこへ行って、おんなじような人と、おんなじようなことを考えて、おんなじようなことをする。
それが楽しいのなら問題はないですが、そんな生活をしている人たちのつぶやきを見ていると、楽しそうには見えません。
楽しくもないことを、ささいなお金のために、やりたくないことをやって、つきあいたくない人とつきあう。
たまったストレスを解消するためモノ・コトを大量に消費する。それがどうなるかわからない、もしくは、わかっているけどスルーする。
モノ・コトを大量消費する生活。70億人のうち何割ができているのでしょう。先進国の人が肉を食べるのをやめたら食糧問題は解決するといわれています。
僕たちがきている服をつくる人の収入はいくらでしょう。ちなみにバングラデシュの製造業の収入は大体18万だそうです。月じゃなく年収が18万です。
僕ら日本人も、大陸や半島、大国の隠れ植民地として、稼いだお金をとられていますが、そんな僕らの生活をささえるために苦しい生活をしている人もいるわけです。
そんな争いあう、奪いあう生活をすてて、必要最低限で、お金にたよらない生活をする。そのために学びあい、助けあうコミュニティをつくることです。
そもそも、いまの人口をやしなうのに必要な食糧がどれくらい必要なのか、そのハッキリをしたデータはないようです。
なので、まずは気づいた人、いまの生活に興味がない人、できるだけ自然と一緒に暮らしたい、そんな人が集まる、その一つの旗として日土水むらがあればと思っています。
考えられる未来図
ほとんどの人は、労働をして、それでお金を得て、そのお金となにかを交換をしています。
でも、そのお金が紙キレになる可能性も考えられないことではありません。
おそらくソフトランディングして気がつかないうちにかわっていくはずです。
でも、大東亜戦争後の預金封鎖のようなことが起きたり、日本という国がなくなるなんていうハードランディングも頭のすみっこにおいてたほうがいいわけです。
ハードランディングしたとき、僕らがそれを知るのは、もうどうにもこうにも逃げ場がなくなってからです。
「百姓レボリューション」という本がありますが、その本に書かれているような世界で僕たちは生きることになるかもです。
どんな世界かというと、お金がなんの役にも立たず、なにも買えない世界です。必要なモノは人から奪うか、自分でつくらなければいけません。
奪いあっていたら、いつか足りなくなります。分けあえば、必要最低限でも手にはいります。
そんな世界になったら、日本人には暮らしやすい生活になるはずです。だって、大昔からやっていた生活だからです。
自給して、足るを知る生き方をして、楽しく笑いながら、一人ひとりの個性を輝かせて生きる。
キレイごとかもですが、そんな生き方をすることが持続可能な農環境で、それがより良く生きることだと僕は考えています。
みなさんは、どう考えますか?
やること
それじゃあ、どうすればそのカタチができるのでしょう。
こうすればこうなるという正解は、おそらくありません。だからこそ、それぞれが自分で考えて、つくることができるわけです。
ちなみに僕は「みんなでソロキャンプするようなコミュニティ」を目指しています。
僕のような社会不適合者は、誰かと一緒になにかをするという発想はないので、いわゆるリア充たちのようなキャンプはムリなはずです。
そんな社会不適合者が集まって、それぞれ好きなことをする空間やコミュニティがあってもいいのじゃないでしょうか。
どんなカタチでもいいと思うのです。一つのことを正解とするのじゃなく、それぞれの考えを尊重しあい、すべてが正解とみとめあう。
そんな社会になれば、そんな社会ならば、社会不適合者でも適合できる気がするのです。
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